私は生まれた時から21歳まで団地っ子でした。
確か、2DKくらいだった記憶があります。
周りも団地だらけで、夏休みの朝6時からラジオ体操に行ったり、初めて補助輪無しの自転車に乗ってこけたり、目の前がボーリンング場で、この頃はボーリングが流行してたので、よく行ってました。
ここも2DKくらいだったのかなー。
以前の団地よりは綺麗でした。
駅まで歩いて20分でしたが、その向こうは海でした。
ここには小学3,4年と2年間過ごしました。
人見知りが激しい私でしたが、ここでの生活が一番穏やかだったかもです。
次は神戸市になります。
小学5年~21歳までを過ごしました。
間取りは4DKの4階。
高台にあり、駅まではバスでしたが、遠くに少しだけ海が見えていました。
ここは一応分譲でした。
周りも団地だらけの時代。
この引っ越しが地獄の始まり?
なんとなく、明石と雰囲気の違う学校。
どうしても溶け込めず、軽くイジメにも合い、5年生の数か月、不登校になりました。
中学も、高校も、社会人になっても、何か周りとは違ってました。
生きにくい性格でした。
子供なのにストレスで耳鳴りや不眠になっていました。
親の転勤などで各地を転々としても、すぐに馴染む子供もたくさんいる中で、私にとってはマイナスにしかなっていなかったようです。
ちょっと話がずれるので、この辺でやめておきます。
21歳の時に今の実家、神戸市の一戸建てに移ります。
母がどうしても庭付き一戸建てに住みたかったようで、50代にしてマイホームを購入したんですね(両親の事なんで少し他人事)。
新興住宅地でとても整った街です。
最初の頃はまだ駅も無かったのですが、そのうち、駅だけでなく、お店や、百貨店、高級ホテルまでもが建って、とてもお洒落な街に変化していきました。
バブルの頃は3500万で購入した家が1億の価値がついたらしいです。
あれから30年。
今は百貨店も閉館。
高齢化してきた上に、もともと街の雰囲気を損なわないようにと、自動販売機さえ無く、不便で、住みづらくなってきた感じです。
両親が終の棲家として購入した家。
しかし、もともと、綺麗好きだった母が少しづつ変わっていきました。
つづく
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