私は両親、5歳上の兄の4人家族でした。
物心ついた頃から、とにかく人見知りの激しい、大人しい子供でした。
大人しい、どころではなく、
全く人と話せないのです。
何故なんだろう。
2年前にネットで、ある病名?を知りました。
「場面緘黙症」
私の事だ、これだったんだ、と少し衝撃を受けました。
家では話せるのに、学校では全く声がない。
話しかけられたら、心の声で返してました。
心の中の私は普通に話せるのです。
私の他にも似たような男子や女子がいた事もあります。
ただでさえ、そんな感じなのに、転校が多かったのもマイナスだったような気もします。
小学校だけで3校です。
親の転勤、でもなく。
団地っ子だったんですね。
小学校1、2年の時は2DK。
3、4年の時は3DK。
5、6年の時は4DKの分譲団地。
引っ越す度にランクアップ、笑
でも子供の転校には関心なし?
兄は私と違って、とても社交的。
転校してもすぐに友達を作ってたように記憶してます。
そんな性格でしたので、イジメにも合いました。
現代社会のような壮絶なイジメではないです。
ちょっとからかわれたり、何で喋らへんの?みたいな。
大したイジメじゃないのですが、子供の私には辛かったのでしょう。
小学5年で転校した学校に馴染めず、とうとう不登校になってしまいました。
その時住んでいたのは4階で、よくベランダから下を眺めていました。
ここから落ちたら、、、なんて11歳の私はよく思っていました。
そんな勇気はないのに。
結局、3〜4ヶ月くらい行けなかったです。
両親にはあまりキツく言われなかったです。
無理矢理行かそうともしなかったし。
だからでしょうか。
5ヶ月経った頃、
「このままじゃ駄目だ、行かなきゃ駄目だ、行こう」
と、急に自分で決めて、そこからはほぼ休まず通ってました。
転校生に優しい生徒ってどこにでもいるようで、私もそれなりに放課後に遊んだり、お互いの家に行ったり、そんなお友達も出来ました。
今はもう、付き合いもなく。
どうしてるんだろう、って、たまに思い出します。
小学6年になり、相変わらず人とお喋りは出来ず。
そんな、ある日、今でも思い出すと胸が締め付けられるような出来事がありました。
ブログを読んで頂き、ありがとうございます。
応援クリックして頂けると励みになります。